わたしが受講した理由

舛岡はなゑ講演会を聞いた後の体験談

宮城県古川市在住の男性〝一休さん〟のエピソードです


はじめての体験


はなゑ先生の講演会を去年の9月、仙台で受けたときの

私の体験です。


講演会の終わりのほうで

はなゑ先生が〝癒しのワーク〟

というのをするんです。


「目を閉じて自分を抱きしめて

あげてください」という、

はなゑ先生の言葉を合図に


自分のなかに閉じこもっている

インナーチャイルド

「そのままの自分では私は愛されない」

「自分なんて生まれないほうがよかったんだ」

という感じ方をしてしまった

子どもの頃の自分を

今の自分が癒しにいく

こころの旅が

はじまるんですけれど。


そのとき、私、見たんです。


保育園児だった頃の自分が

うちの牛小屋に

夜、閉じ込められたことを。


なんだ、おまえ💢

そんな悪いことしたら

牛に食べられるぞー!

親父にめちゃくちゃ怒られたんです。


私、3人きょうだいの3番目でして

やんちゃ坊主だったんですね。


近所の子を、ちょっと

いじめてしまったら

父が烈火のごとく怒ったんです。


怒られて当然のことを

私はしたんですから

おしおきされて、当然なんですけれど。


今、お話ししたことは、

実際にあったことなんです。


それを癒しのワークのときに

私が思い出したんです。


父は農家をやって、牛も何頭か飼育して

さらに昼間は大工の仕事をしていました。


ガタイが大きくて

筋骨隆々の父が

全身で怒りをあらわにした

その姿が

癒しのワークの際に見えてきた。


ものすごく怖かったですね。


そして。


あの光景がパーンと出た

そのとき

思い出したんです。


ずっと忘れていました。


というか、

見て見ないフリをしていたんです。


自分のインナーチャイルド。


私は、ものごころがついた頃から

とうちゃん、オレのこと・・・。

嫌らってる

と思っていたんです。


仙台の講演会での

癒しのワークで思い出した

「牛小屋に閉じ込められた記憶」

それがきっかけで

私は自分のインナーチャイルドと

出会ったんです。


ちなみに、なぜ、

父に嫌われていると思ったのか

根拠は何かというと。


父が私に話かけたことが一度もないのです。


父と会話するのは年に2、3回。


父は1年のうち

365日働いていました。


盆や正月も、まる1日休んでいるところを

一度も見たことがありません。


だから私はこんなことを考えたんです。


父ちゃんは忙しいし、

めいっぱい働いて疲れているだけなんだ、って。


いや、でも。


たまに茶の間で、父と私がいて

同じこたつに入っていても

なあ~んにも

話かけてくれないのです、父は。


だまっていても、

子どもをやさしい目で見て

ニコニコしてる

というわけでもない。


(-“-)

真顔の父。


そんな父が、唯一、楽しげに

会話をする相手が私の母。


それを見ていると

あぁ、やっぱり父ちゃん、

オレのこと、嫌いなんだな、って。


確かめるのも怖い気がして。


このモヤモヤした想いを

抱えたまま生きてきました。

そして、私は

父に嫌われている自分のことが

好きではありませんでした。

やがて私は家を巣立ち

結婚して、自分の家庭を持ちました。

子どもが生れ、ますます仕事に精が出る。

次第に実家から足が遠のいていきました。

それでも、母親とは昔からずっと

仲が良く、連絡も取り合ってはいたのですが

父と私との間には

相当な距離感があるように

私は感じていて。

私のなかには

父を尊敬する想いがあった

ことはあったのですが。

いや、というよりも、

父は、私にとって、

おそれおおい存在だったのですね。

たまに、2人が顔を合わせても、

親子の会話をしたことがなかったのです。


気がついたら実家に顔を出すこともなくなって

8年以上、実家に帰っていなかった。


父のことも、そんな

考えるヒマもないぐらい忙しい毎日。


それが、仙台の癒しの講演会で

父のことを思い出し、そして

4回目に受けた

「癒しの講演会」の癒しのワークの際に

また見えたのです。


私が生れる前の光景。


そして。


父の私への思いが。



突如としてわきいでてきた「生れる前のイメージ」


「やっぱり父ちゃん、オレのこと、嫌いなんだな」

小さい頃からずっと

そんな気がしていました。


それを父に確かめる勇気もなく。


モヤモヤした想いを

抱えたまま生きてきた。


そして。


父に嫌われている自分のことが

好きではありませんでした。


そんな私がはなゑ先生の「講演会」に参加して

4回目のとき。


癒しのワークの際に見えた光景。

それは

私を身ごもった母が父に

相談している場面。


「これで3人目の子になるけど、

産んで大丈夫?

産まないほうがいいかな…。


だって、2人の子どもにも、

満足に食べさせてやれないのに」


父はこう言いました。


「神さまがさずけてくれた命だから

産んでほしい。

大丈夫、オレがもっと稼ぐから」


望まれて生まれた命ではないのだろうと

思ってた…。


場面は変わり。


母が私を出産したあと。


父が赤ちゃんの私を

抱いているイメージが見えました。


父が。


あの父が。


 :*:・( ̄∀ ̄)・:*:

うれしそうな顔をしていたのです。


私は

愛されていました。


父が母に「産んでくれ」と

頼んだ命でした。


大きな愛と光に

祝福されて

生れてきた命。


「はい、目を開けてください」


はなゑ先生の声で目を開けたとき

 

心地よい脱力感と・・・。

 

目の前にあるものは

さっきとまったく何も変わらないのに

目を開けたときは

 

光輝いて見えたんです。

 

そして思いました。


「父ちゃんに会って話をしよう」


*胎内記憶の研究をしている池川明さんによると、

胎児だったときお母さんのお腹の外で誰が何をしたのかを

覚えているお子さんもいるそうです。

お腹が透けて外が見えるのだそうです――管理人にちか註


実家に戻れる段取りがついたのは

それからしばらく後のことでした。


今年の3月のお彼岸。


墓参りも兼ねて8年以上ぶりの、実家。


年老いた母には

たまには食事の世話をしなくてすむようにと

買ってきたお寿司を。


父には、

父が好物のホヤを買い

私が調理して食べてもらいました。


「とうちゃん、オレを育ててくれて

ありがとうね」

自分の気持ちを

あまり顔に出さない父。


ただ、にこ~っと笑って

私が調理したホヤを

おいしそうに

食べてくれました。


生れてはじめて

父とふつうに会話ができて

ホントによかった。


そう思う私の心のすみっこで

さみしい気持ちが

チラついたのは、

父がものすごく別人に見えてしまったから。


私の知っている父は

体が大きくて筋骨隆々。


家族を養っている自信にあふれ

全身、気力がみなぎっている。


でも今、自分の目の前で

ホヤを食べている父は

小さくて、背中が丸まってて…。


「父ちゃんね、2年前に

脳梗塞でたおれたんだよー」

と、母。


右側にほんの少しだけ

マヒがあるぐらいの後遺症で

済んで、よかった

と、母は言っていました。


「そっか…」

はじめて知らされました。


言われてみれば、父は

ちょっと歩き方がぎこちない。


「田んぼ、どうなった?」

私の質問に

「あぁ、昔のようには作ってないけど

まだやってるよ」

と、こたえる父。


「今度、田植え、手伝いにくるから」

そんな、ごくふつうの会話をして

私は実家をあとにしました。


このとき、私も母も、そして父も

この後に起こることなど、

想像だにしていなかったのです。


4月30日の夜。

父が「田んぼの準備があるから」と言って

出かけていきました。



周りにも「愛と光」を伝えたいという気持ちに奇跡が‼



実家に8年以上ぶりに戻り、

生れてはじめて

父とふつうに会話をし

「ありがとう」を言って

今年は田んぼの手伝いをしにくると

約束をして、実家をあとにしたのでした。

まさか、あの後

父が・・・。

あんなことに

なるなんて‼

5月1日の朝。

母は父の様子を見て

(;゚Д゚)

ビックリして聞いたそうです。

「どうしたの」

前日の夜、

「田んぼの準備をしてくる」

と言って出かけた父。

どこかで転んだのでしょうか、

顔が腫れて

お岩さんのようだったそうです。

それにしても父の様子がヘン。

しゃべれない‼

Σ( ̄□ ̄|||)

「病院で、少し診てもらおうね」

母は救急車を呼んで

父を病院へ搬送。

検査を受けたら

脳挫傷で即入院。

しゃべれない、歩けない

食べることもできない。

(ノ_・。) 

という、ことの顛末を

母が電話で話してくれました。

不思議と、私は

('-'*)

落ち着いていました。

父が入院している病院にかけつけて

担当の医師に話を聞いたところ

「治療が遅れたのが残念でした。

80過ぎの高齢の方でもありますので

これ以上よくなることは

期待できないでしょう」と。

その後、面談の話題の中心は

父の延命治療をどうするか、

だったんです。

そんなことがあったのが、

この前の連休があけた頃。

そして、5月18日

東京で、はなゑ先生から

癒しのセラピストの認定を受けて。

それからさらに数日が経った朝のことでした。

突然、母親から電話がきまして。

朝だったから

えっ(;゚Д゚)

何かが起きたって

思うじゃないですか。

「あぁ、たっか、か~?」



 *一休さんは親御さんに

〝たっか〟と呼ばれています(^^ゞ



「そうだよ、母ちゃん

どうした?」

「あのねー」

「あのねー」

母は何回も「あのねー」

って言うから。

 (゚Ω゚;)

なんだろう

(((゜д゜;)))

また何が

あったんだろうか

「あのねー

父ちゃんがね」

あぁ

いよいよか…(-“-)


「父ちゃんが」


「父ちゃん、歩いたよ」


Σ(゚Д゚)えっ

まさか‼

父がベッドで最期を迎える日は

さほど遠くないだろうからと

私なりに覚悟をしていました。

だって。

無理だって

お医者さんが言ってたんです。

だから、ビックリしました。

「ホント?」って、母に聞いたら

「ホントだよ」って。



そんなやりとりがあって。



その、すぐ後に宮城の名取で、

はなゑ先生の「講演会」があったので参加して、

はなゑ先生に

「はなゑ先生のおかげでです」

って報告しました。


そしたら、はなゑ先生が

「よかったねぇ」って。


わがことのように喜んでくれて

「癒しのセラピストになって

人助けをしよう、っていう一休さんに

神さまがごほうびをくれたのかも。

きっと、そう」

そうやって、はなゑ先生に言っていただいたのが

本当にうれしかったです。


一人さんの本と出会う前の私は

人生のどん底のピークで

真っ暗な無明の世界にいるような

人間だったんです。


そこから一人さんの本と出会い

教わったことを

一つひとつ実践して。


はなゑ先生からもたくさん

教わるばかりで。


今まではいただきっぱなしだったけれど

もう、私はこんなにも幸せになったのだから

少しずつ、いただいたものを

お返ししたいなあ、って。


こんな私にも、何か

誰かのお役に立つことができるんじゃないか。


そんな思いで、癒しのセラピストに

なったばかりなんです。


それなのに。


神さまのごほうびは

前払い

ということなのでしょうか。


わかりませんが。


あ、そうそう。


今日、ライターのにちかさんから電話がかかってくるんで

さっき実家の母に電話してたんですよ。


父がしゃべれるようになったそうです。


元どおりではありませんが

父がしゃべったことの

半分は理解できるよ、って、

母は言っていました。



                      父の言葉「ありがとな…」


父ちゃんが入院している病院に行ってきました。

父ちゃんが入ってる

病室に行ったんですよ。

 

「あれ?」

 

 いないんですよ。


どうしたのかなあ…


と思っていたら。

 

「とうちゃん‼」

 

点滴をぶらさげるスタンドを片手に

スタスタ歩きながら、父親が病室に

入ってきたんですよ。


いやあ

もう、ビックリしちゃって。

 

 ベッドに父を座らせて、

「とうちゃん、よくなったんだね」

って言ったらば、

「うん」

って言うんですよ。

 

 さらに驚いたのはね、

ウチの親父は昔から、

農業日誌みたいなものを

書いていたんですけれど、

突然の入院で書けなくなってしまって。

 

「日記、書かなきゃ」

って、言ったんです。

 

 一瞬、頭がフリーズしてしまいました。

 

延命治療をどうするか、

ということを、

お医者さんと話し合ったのは

つい、こないだのことなんです。


そのあと、ニュースで平均寿命が80いくつだ

というのをやっているのを見て

うちの父ちゃん

もう、81歳だもんな…。


って、自分に言い聞かせてたんです。


それが今。


あのときの親父とは

まったく様子が違っていて

 

あのときの父ちゃんは、

私が見た幻だったのか。


 

今の親父

食べるのが不自由なこと以外

入院する前の親父と

さして変わらない。

 

「天気いいなあ、

田んぼは草ぼうぼうだろうなあ」

田んぼのことを気にしている父に、

母親が言ったんです。

「たっかが、この前土日、草刈にきてくれて、

田植え、手伝ってくれたんだよー」って。

 

そしたら・・・・・・。

 

私は心のなかで、思わず、

神さまに手を合わせました。


親父が私のほうを見て、こう言ったんです。

 

「ありがとな。助かるよ」

 

本当に、ありがとうございました。